薬草と又兵衛桜が魅力の町並み 大宇陀
                    交通(大阪から) :近鉄大阪線榛原駅下車バス15分
                     所在地 :奈良県宇陀市松山

南北朝から戦国時代にかけて「宇陀三将」称された秋山氏の城下町として栄えた旧松山地区には、情緒豊かな歴史的町並みが残されています。その街道筋である「松山街道」は、南進すると「南路伊勢街道」を経由して「熊野街道」へ。東進すると高見越えで「南路伊勢街道」へ。北進すると榛原を経由する「伊勢本街道」へ通じるなど交通の要衝でした。これらの道は伊勢参宮のほか、伊勢や熊野から魚や塩、また宇陀松山からは宇陀紙や葛・油・薬などを運ぶ重要な役割を担っていました。
国道370号線に沿って、上町通りと下町通りに伝統的な建物が約200軒現存します。代表的なものに植田家、旧福田医院、森田家、竹田家、川尾家、好岡家、郡司家、黒川家、林家などがあり、旧細川家は「薬の館」大宇陀歴史文化館として公開保存されています。
これらの住まいは、一時期に一気に繁栄した訳ではなく、色んな時代の影響を受けながら積み上がってきたために、家毎にそれぞれ異なる時代の特徴を持ち、
「日本の家屋建築の博物館」とも称されています。

大宇陀の又兵衛桜  画:増田史朗
松山地区まちづくりセンター「千軒舎」は、赤砂利交差点から北へ入ってすぐのところにあります。台格子・虫籠窓・煙出しを備えた伝統的な町家で、以前、薬屋・歯科医院として使われていた建物(旧内藤家)を改修して、平成15年10月にオープンした施設です。
施設の愛称は、かつて松山町が「宇陀千軒」と呼ばれるほどの賑わいを見せていたことから、現代の「宇陀千軒」を実現したいとの気持ちを込めて「千軒舎」と名づけられました。 この建物は、地域のまちづくりを支援する拠点、歴史的町並み散策の情報発信、伝建地区の改修モデルハウスという3つの役割を持っています。

大宇陀は古くから薬草の栽培が盛んで、漢方薬の問屋がありました。「桃岳庵(とうがくあん)」は、薬園の創始者である賽郭(さいかく)が、晩年薬草を観察したり、図譜を書いたりしたと伝えられる建物で、建築は1749年とされています。
賽郭がここで記した図譜は、「松山本草全十巻」で、鮮やかな原色で描かれ資料館に展示されています。

大宇陀区西部の本郷区には樹齢300年とも言われている通称「瀧桜」と呼ばれる見事な枝垂れ桜があります。戦国武将「後藤又兵衛」の伝説と後藤家の屋敷跡にあることから「又兵衛桜」とも呼ばれています。高さ13m、幹周り3mを超える桜の巨木が大きな枝を広げ薄桃色の花を咲かせる4月上旬〜中旬の開花に合わせて「桜まつり」が開催され、例年数万人の花見客で賑わいます。