高山は、戦国時代の飛騨は、三木自綱が治めていましたが豊臣秀吉の命を受けた越前大野の金森長近が、飛騨に攻め入り三木氏を滅ぼし、この地を“高山”と名付けたのが始まりです。
まちの中央を南北に流れる宮川の清流を京都の鴨川に準えて造られたこのまちは、町なみの美しさも相まって「飛騨の小京都」と称されています。
金森長近は、天神山に城を築き「高山城」とし、麓に武家屋敷町と、一之町、二之町、三之町、を造りそれぞれを、町人町として周辺より町人七百人を呼び住まわせました.
現在、も城下町建設当初の道路網、敷地割り等と、ほぼ変化はありません。