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大家族が住まう合掌づく白川郷 
                              
 画:増田史朗 スケッチした場所         
          交 通 JR・名古屋駅より鳩ヶ谷行きハイウエイバス萩町            
  んんんん 車:東海北陸自動車道、白川郷インアターより5分
nnnnnnnnnnnn所在地  岐阜県大野郡白川村萩町

白川郷に行くと萩町城跡に登ることをお薦めします。(徒歩叉はタクシーですぐ)   江戸時代、白川郷と称していた地域は、庄川上流の飛騨大野郡の西部一帯で、村数42ヶ村でした。岐阜県と富山県の県境にあるこの地は、上流の富山県の五箇山地区と共に、合掌村文化圏を形成している。昭和三十年代に完成された御母衣ダムにより、大量の合掌造り民家が水没したが最盛期には千八百棟あったという。想像するだけでも実に雄大な光景です。しかし現在は、白川村地区に五十数棟残るのみとなってしまいました。

秋の白川郷は、高原の澄み切った空気と鮮やかな紅葉が相まって萩町城跡から見下ろす景観は、箱庭のような美しく、家々がミニチアのように、かわいい光景が味わえます。  
萩町城跡に登り、南眼下の庄川沿いの光景を見ると、まるで山脈の連峰を形成するかの如く、堂々と大地からそそり立つ合掌造りの民家群が、箱庭のように見下ろせるのです。 
白川村は東を御前岳等の飛騨山地、西に白山を擁する両白山地に挟まれた標高500m前後の庄川沿いの谷筋の山村です。それらは、庄川沿いの田畑の中に一定の方向性を持って、整然と蛇行しながら集落を形成しています。

これは、美濃から越中五箇山へ抜ける1本の道、白川街道と棟の軸線を一致させるものであり、東の飛騨山地と西の両白山地の尾根筋と平行で。南北に伸びる1本の谷筋でもあります。谷を抜ける卓越風に対し最も負担の少ない配置のシステムとなっているのです。
一棟一棟の合掌造りは、構造的にも意匠的にも全く無駄が無く、素朴で自然の中に溶け込んでいます。
富山県の五箇山の合掌造りと白川村の合掌造りの相違点は、前者は、一戸一世帯の通常の規模に対し、後者は、大家族の大型住宅が多い。
白川村地区には四階建ての民家が多いが、住まいは一階で、1〜4階は養蚕場となっています。
合掌造りは、一階の床面積が大きいと、必然的に棟高は高くなります。白川村の大家族は、宝暦(1752)に分家に関する定めが出され、二町歩以上所有していないと分家出来なくなった為です。耕地の少ない奥飛騨では、大家族にならざるを得なかったのでしょう。最も大きな家族は、四十人前後が住んでいた重要文化財に指定されている遠山家で、ダム湖底に水没するところを移築し、資料館として保存されています。
この深い山里にそそり立つ合掌造りの雄姿は、二百年以上の風雪にも耐え、幾世代もの人々の生死を見守り、堂々と大地に建つ。この家をじっと見ていると、我々に生きる自信と希望をも与えているようでもあります
 
 
 
 
 
 


































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