・伏見には、新撰組が京の町を闊歩していた頃・幕末の港町として栄えた船宿の1つに薩摩藩の定宿であった「寺田屋」があります。 この地は、淀川の水運に恵まれ、京・大阪両都市の中継地となり、京都の外港でもあり、又、大津方面への塩の輸送基地ともなっていました。
現在は観光客用に十石船が運航され船の中から低いアングルで見る伏見に景観を楽しむことができます。 ・伏見は、「平安京の造営」と秀吉の「伏見城(指月城)の築造」で有名です。「平安京」ができて、貴族達は、この郊外の丘陵地を別荘地として又、遊猟の地として活用しました。文禄元年(1592)豊臣秀吉はこの地に築城し天下人の城下町として日本の中心機能を背負いました。 |