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市民が保存に立ちあがった
小 樽
 所在地 : 北海道小樽市色内他.
     交 通 : JR函館本線小樽駅徒歩7分.
          車 : 札樽自動車道小樽ICより2km


小樽は三方山に囲まれ北側は石狩湾に面して開いている港町です。
背後の山塊は海ぎわまで迫っているため坂の多い町でもあります。
小樽の先住民はアイヌ民族で、小樽という地名は、アイヌ語の「オタ・オル・ナイ」(砂浜の中の川の意)に由来するそうです。約380年前(慶長年間)に松前藩の領地とされ、鰊漁場や北前船で賑わい集落が形成されました。

画:増田史朗

スケッチした場所の地図

明治後期には、日露戦争の勝利と共に北の中心都市として繁栄しました。日本の領土であった樺太(現サハリン)、満州等の日本海交易の拠点として商社、金融機関が密集し「北のウオール街」と呼ばれるようになりました。しかし、第二次世界大戦の敗北後、その使命は終わり町は衰退してゆきました。市と地元経済界は、昭和41年、自動車社会の到来に対応する為、運河を埋め自動車道とする計画を決定しました。市民や夏堀正元氏ら地元文化人は、次々と壊される石造建築を目にして保存運動に立ち上がり、昭和58年「歴史的建造物群及び景観地区保全条例」の制定を実現させ、運河についても半分は保存させることが出来、今日を迎えることができました。。
まちなみと建築
小樽の情趣をもっともよく感じさせてくれるのが運河とその周辺の石造建築群です。この石造に見える建築が実は、木造建築に地元の石材(札幌軟石)をかすがいで貼り付けた木骨石造であるからおもしろい。防火対策として漆喰壁とするところが、寒さで凍結する為に厚さ十五mm程の石材を外装に利用しました。丁度、明治維新により欧米の文化を吸収して、アーチやドーマーなどルネッサンス様式を多様しました。中でも日本郵船小樽支店(現市立博物館)は国指定重要文化財で佐立七次郎設計の荘重な意匠は、後の小樽の洋風デザインに影響を強くしました

佐立と同じ現在の東大建築学部の第一期生である辰野金吾は日本銀行小樽支店を設計、窓際の柱の美しいエンタシスと上部の五つのドームが印象的です。尚、辰野金吾は全国の日銀支店の他、東京駅の設計でも有名です。小樽バイン(旧北海道銀行本店)、小樽グランドホテルクラシック(旧越中屋ホテル)、旧三井銀行小樽支店なども見逃せません。少し郊外に足を延ばし高島岬には鰊漁網元の住居兼作業所、小樽鰊御殿があります。道指定文化財であるこの建物も日本海の眺望と共に見応えがあります。最近、運河沿いの元倉庫に全国の有名ラーメン店が集合した小樽運河食堂も人気が出ています。
小樽市指定歴史的建造物:旧青山別邸は、青山留吉、政吉の親子二代に亘り財を成し、青山家最盛期の大正7年に着工しました。 当時、にしん大尽と呼ばれた政吉は、美意識が高く、一流好みでした。 その為元場(にしん御殿)と は違う芸術的な建築物を目指し、約6年半の歳月を 要して完成させました。また、狩野派の流れを汲む日本画の絵師たちが競って描いたふすま 絵、書も見事なもので、祝津がにしん漁で湧いていた時代の お金に糸目をつけず贅をつくし た豪邸であり現在は有料で公開されています。