トピアリーの町入来麓 スケッチした場所の地図 nn交 通 鹿児島中央駅よりバス70分 九州自動車道姶良ICより40分 所在地 鹿児島県薩摩川内市入来町
入来は奈良時代以来、薩摩、大隅の両国府を結ぶ要衝に位置し、人や物が「入り釆たる」というのが地名の由来だとされています。入来麓は、中世の山城である清色(きよしき)城を背景にその山裾の小高い山々に囲まれた盆地に位置する静かな町です。 約620年間、 人 来院氏が治め、中世、近世の街並みと武家屋敷を残しています。 入来麓は、19haに約100戸が立ち並び街路に面して積まれた美しい石垣が往時をしのばせる武家屋敷町です。
街路がまっすぐに延びるところが近世、曲がりくねっているのが中世の特徴です。両方の時代が併存する町並みは全国でも珍しい町です。1軒あたりの平均の土地面積は約1000uにおよび、庭園は枯山水が多い中で、両氏邸は池に水が入る数少ない泉水庭園です。 入来郷土館に展示してある丸に十字の島津家の家紋をあしらった漆塗りの豪華な収納具、長持(ながもち)などは、幕末、島津久光の姫君が入来院家に嫁いだ時のものです。人来院家から島津家に嫁いだ人もいました。 入来の名前が欧米の研究者にも知られるようになったのは、比較法制史を米国で研究していた朝河貫一氏の英文の著書「入来文書」がきっかけです。入来院の本家、分家が保管していた年貢や軍勢催促状、訴訟関係書類など膨大な古文書を入来で書き写し、土地を媒介とした荘園制、封建的主従関係が欧州だけでなく、日本にも存在したことを資料によって裏付けました。